東日本大震災から1か月

あの日、2011年3月11日14:46、私は箱根にいました。午後3時から研究会合宿を宿で開始しようとする直前に大きな横揺れが来ました。ゴゴーという地響きのような音とも風圧ともたとえようのない衝撃が走りました。もちろん、自分が日本で体験した過去最大の強い地震でした。

研究会の方は、余震の恐れや情報収集でなかなか始まらず、夕食後ようやくミーティングが始まった次第です。翌日も、もうひとつの研究会合宿が予定されていたが、中止になりました。

3月20日からゼミの学生達と韓国へ調査に行く予定でしたが、こちらも大地震と原発事故の影響で、やむなく中止にしました。東北にいる知人の安否がなかなかとれないまま、心配な毎日だったが、徐々に無事であったことが判明して胸をなで下ろしつつあります。

しかし、解決の展望が見えない福島第一原発の事故や、大きな余震が連続して不安な毎日を送っているのは私だけではないでしょう。

被災地で津波に流されて亡くなった多くの人々、さぞかし無念のことと思います。ご冥福をお祈りすることしか私にはできません。一命を取り留めた人々も、自宅や職場、家族、親戚、友人を失い悲しみと将来への不安に苦しんでいることは間違いありません。心よりお見舞い申し上げます。

大学時代の同窓生は、宮城県石巻の出身で、今、故郷に戻り震災ボランティアを始めたそうです。私自身は、4月2日から4日まで被災地の宮城県を視察してきました。言語に絶するとはまさにこのことで、津波に破壊され尽くした南三陸町や仙台市荒浜では、船や車が本来あり得ない場所に横転したり、田圃に突き刺さっていました。絶句しかできませんでした。この悲しみと怒りをどこにぶつければいいのか、被災された方々の心中を察するには私の想像力にあまりありすぎです。

一研究者として、この大震災は深刻な研究課題として受け止めました。雇用問題、地域経済、社会保障や福祉のあらゆる問題が、この大震災を通じてこれまでの延長線上では語り尽くせない新しいパラダイムを求めていると思います。生き残れたものとして、突然に逝かれた人々の無念さを思いながら精進するつもりです。

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