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東日本大震災から1か月

2011年4月10日 日曜日

あの日、2011年3月11日14:46、私は箱根にいました。午後3時から研究会合宿を宿で開始しようとする直前に大きな横揺れが来ました。ゴゴーという地響きのような音とも風圧ともたとえようのない衝撃が走りました。もちろん、自分が日本で体験した過去最大の強い地震でした。

研究会の方は、余震の恐れや情報収集でなかなか始まらず、夕食後ようやくミーティングが始まった次第です。翌日も、もうひとつの研究会合宿が予定されていたが、中止になりました。

3月20日からゼミの学生達と韓国へ調査に行く予定でしたが、こちらも大地震と原発事故の影響で、やむなく中止にしました。東北にいる知人の安否がなかなかとれないまま、心配な毎日だったが、徐々に無事であったことが判明して胸をなで下ろしつつあります。

しかし、解決の展望が見えない福島第一原発の事故や、大きな余震が連続して不安な毎日を送っているのは私だけではないでしょう。

被災地で津波に流されて亡くなった多くの人々、さぞかし無念のことと思います。ご冥福をお祈りすることしか私にはできません。一命を取り留めた人々も、自宅や職場、家族、親戚、友人を失い悲しみと将来への不安に苦しんでいることは間違いありません。心よりお見舞い申し上げます。

大学時代の同窓生は、宮城県石巻の出身で、今、故郷に戻り震災ボランティアを始めたそうです。私自身は、4月2日から4日まで被災地の宮城県を視察してきました。言語に絶するとはまさにこのことで、津波に破壊され尽くした南三陸町や仙台市荒浜では、船や車が本来あり得ない場所に横転したり、田圃に突き刺さっていました。絶句しかできませんでした。この悲しみと怒りをどこにぶつければいいのか、被災された方々の心中を察するには私の想像力にあまりありすぎです。

一研究者として、この大震災は深刻な研究課題として受け止めました。雇用問題、地域経済、社会保障や福祉のあらゆる問題が、この大震災を通じてこれまでの延長線上では語り尽くせない新しいパラダイムを求めていると思います。生き残れたものとして、突然に逝かれた人々の無念さを思いながら精進するつもりです。

暑い夏の終わりに

2010年9月14日 火曜日

えーと、この夏の猛暑、いいわけにならないけれど、積極的にいろいろなことに挑戦することがむりでした。

仕事もその他の活動も、休眠状態。

冬眠という言葉はあるけれど、”夏眠”状態の2か月でした。

ここ2,3日、東京でも夜の気温が摂氏25度を下回り、熟睡できるようになったな。
そして、昼間も30度超にならないおかげで、昼寝もしやすくなった。

トータルで見ると、生産性が著しく低下(もともと高くないが)し、今ようやくやる
気がわいてきたところだ。

それにしても、明るい話題の少ない夏だった。本日、新たに代表に選ばれた与党党首は、
「元気のない日本」を建て直すと声をからしていたが、
結構根は深いと思う。そう簡単に建て直すことはできないだろう。
閉塞感を払拭するには、地道な努力とタイミングが必要だから。

春と秋が短くなり、暑い夏と寒い冬を往復する気候に変化しつつある日本で、
どうしたら「活気」のある社会を取り戻せるのだろう。

社会の閉塞状況の反映と医学情報の普及により、心の病に罹っていると
自覚する若者が増えている。社会の問題点や矛盾を受け止めながらも
その解決の展望をなかなか見いだせないことが、「生きにくさ」の主たる原因に
なっているような気がする。腹が減っても、悲しいことがあっても「明けない夜はない」式の
楽観論をキープできれば心のストレスも違った質のものになるだろう。

9月の最初の5日間、残暑の厳しい中国北東部のある大都市に滞在したとき、中国人の研究者から
「先生は楽観的なんですね」と何度も言われた。
悪い気はしなかった。現実がしんどいほど「笑顔を作ってしまう癖」が身についているみたいだ。
でも、いつも笑顔でいられない経験もずいぶんしてきた。「楽観的」なのは天の邪鬼の性格故としておこう。

おっと、窓の外は雨音、夜気が涼しく感じられる。今夜も熟睡できそうだ。